令和の森鴎外

俳人、正岡子規の写真はなぜ横顔なのか? 有名な肖像の真相に迫る ...

 

最近は、” ぴえん ” だの ” エモい ”だのゴミみたいな表現を多用し、自分の語彙力の無さを辱めもなく披露しているアホどもが多い中、文豪かと見違えるほどの天才的表現を目にしたのでそれをここに述べる。

 

僕の好きな森鴎外の話がある。

それは森鴎外が飛行機という日本語を開発したという話だ。

どうやら森鴎外がドイツ語を翻訳した” 飛行機 ”が起源となって今日でもそう呼ばれるようになったらしい。

 

僕が気に入っているのはこの" 飛行機 " という言葉の表現の見事さ。

飛ぶことを行う機械というそのままの表現ながら、声に出すときには一息で気持ちよく言うことができる素敵な表現だ。

 

まあ、この" 飛行機 "ほどの表現は他にもあると思うし、森鴎外という有名な小説家が名付けたということで箔の付いた評価をしてしまっているという自覚もある。だがやはり好きな表現であることに変わりはない。

 

そして、最近この" 飛行機 " の開発に匹敵する表現を僕は聞いたのだ。

 

その言葉を開発した、まさに現代の森鴎外というのは何を隠そうこのブログにてよくたばこのレビューをしているドルオタヤ二カスの彼である。

 

そして彼の開発した言葉は" 残糞感 "である。

個人的に読みは” ざんぷんかん ”などではなく" ざっぷんかん "と読むのがおすすめである。

ブログを書いているメンバーのグループラインの会話にて突然現れた表現である。

 

この世の中にはすでにこのような表現として便秘というのがある。しかしこれは状態異常であり、普段はそんなことはないがたまたま調子が悪くおなかに残るような感じのときの有名な表現はない。正確にはいくつかあるがこれと言った強大な表現はまだない。

 

これは” 飛行機 ”の開発でもあった話だ。飛行機という表現の対抗はいくつもあったがそのなかで勝ち残り” 飛行機 ”となったのだ。

 

私はこの残糞感という言葉にはその勝ち残る力があると信じている。

 

あらためて分析しよう。

 

残尿感と対となる残糞感、この関係性はシンメトリーに似たおさまりの良さを感じさせる。また、ざっぷんかんという発音は濁音、半濁音、促音を備えたボリュームの良さと濁音+促音の力強さ、半濁音のさわやかさを兼ね備えている。

そして一番評価できるのは字面の汚さである。

糞が残るのを感じるという一言一言があまりにも汚い。

この強烈な汚さは日本語の中でもトップクラスであろう。

 

こんな汚い言葉を使うぐらいなら " ぴえん " だの " エモい " だの " マジ卍 " だのを言うほうがまだましである。

ぴえん